神戸事件少年A検事供述書
[これと同内容のものが文藝春秋1998年3月号に「少年A 犯罪の全貌」と題して掲載された。以下は、改行を大幅に略したほかは、ほぼ原文の表現をとどめてある]
[○付き数字は文字化けするので、「まる1」「まる2」のように表記した]
供述調書6
平成九年七月十七日付
一 僕は、これまで話してきたように、B君を殺したり、殺した後に、その首を糸ノコギリで切断した上、その首をT中学校の正門前に置いたりしたことに間違いありません。 〔この時本職は、平成九年六月二八日付、司法警察員押収にかかる「クリ刀」三本を示した。〕 今示された「クリ刀」三本は、何れも僕が持っていたものに間違いありません。その「クリ刀」のことを僕はこれまで龍馬のナイフと言って話していました。その龍馬のナイフ三本は、持つところに白のビニールテープを巻いているナイフと、青のビニールテープを巻いているナイフ及び何も巻いていないナイフの三本です。何でも、白いビニールテープを巻いた龍馬のナイフは、僕の部屋の押入の上の段に置いていた二個重ねたダンボールの横から出てきたものであり、何も巻いていない龍馬のナイフは、僕の部屋の押入の上の段に置いていた二個重ねたダンボールの下のダンボールの中から出てきたもので、青いビニールテープを巻いた龍馬のナイフは、僕の家の一階の居間から出てきたものだということが分かりました。青いビニールテープを巻いた龍馬のナイフは、別の機会で話しているように、平成九年五月一三日に、××××(同じ中学の生徒)を殴ったりした時に僕が持っていたナイフであり、その後、先生に見付かって取り上げられ、その先生から僕の親に渡されたナイフでした。B君を殺した後、五月二五日に「タンク山」のケーブルテレビアンテナ施設の中で、B君の口を裂いたり、目を切ったりしたナイフは、多分白いビニールテープを巻いた龍馬のナイフだったと思います。しかし、僕は、当時僕が使える龍馬のナイフは、少なくとも二本持っていたので、B君の目を裂いたりするのに使った龍馬のナイフが、確実にその白いビニールテープを巻いた龍馬のナイフであったと断定することまでは出来ません。もしかしたら、テープを巻いていない龍馬のナイフである可能性もあるからです。なお、青いビニールテープを巻いていた龍馬のナイフは、親に取り上げられていたので使えませんでした。これら、僕が持っていた龍馬のナイフは、全てLから万引きしてきたものでしたが、万引してきた時期は、確か、僕がT小学校の六年生の時だったと思います。一度に全ての龍馬のナイフを万引きしたというのではなく、一回に一本ずつ万引きしました。
二 僕は、別の機会で話しているように、B君の首を切断するのに使った糸ノコギリは、その後、向畑ノ池に捨てましたが、そのことを僕が話したので、警察官が向畑ノ池からノコギリを発見しました。
三 僕は、B君を殺したり、あるいはB君の首を切断した時には、いつも黄緑色の手袋をしていました。
四 僕は、五月二四日に、B君を殺しましたが、その時僕は、履いていた白い運動靴の左足の靴紐をB君の首に巻き付けて、B君を絞め殺したのです。
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